|球友の足跡|

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 協会の変遷
1969年度  大阪貝塚リトルリーグが木島小学校PTA役員有志により誕生
 リトルリーグ関西連盟に16番目のリーグとして加盟する。初代会長 塔筋望氏
 関西連盟秋季大会に初参加 (写真は春季大会)  
1970年度  リトルリーグ関西連盟が内紛により分裂。貝塚リーグはリトルリーグに残留する。
 貝塚リーグは青年会議所(JC) の力により全市に拡大し、一挙に大所帯になる。
1971年度  連盟もリーグも混沌の中、夏休大会で公式戦初勝利をあげる。
1972年度  組織未熟のため、秋季大会を棄権する。第1回目のピンチ。
 貝塚リトルリーグ野球協会として再出発し、2代目会長に溝端延彦氏、監督に津田宗利氏就任。
 リトルシニア関西連盟が発足する。
1973年度  シニアの部10名の会員で創設し、リトルシニア関西連盟に加盟する。
 協会の名称を貝塚少年硬式野球協会に変更する。
 リトルリーグのメッカ、万博記念少年野球場が大阪万博跡地にオープン。
 高野山での夏季合宿を始める。(14年間継続) 
1974年度  リトルの部が関西連盟秋季大会に初優勝し、盛大な祝勝会を開催する。
 保護者の手助けが活発化し、試合場に車に分乗し行くようになる。
 関東連盟(現東京連盟)目黒西リーグと交流を開始し卒団旅行を始める。
1975年度  年末年始に「餅つき」「初詣」「練習初め 歩こう会」など保護者も交えた多彩な行事を始める。
1976年度  岸和田市内臨海埋立地に他リーグに先駆けリトル、シニア夫々の専用球場を造成する。
1977年度  シニアの部が関西連盟秋季大会に初優勝。
 シニアの部が全日本関西大会に準優勝。、日本選手権大会に初出場し三位に入賞する。
1978年度  前球場を返納し、臨海埋立地(現臨海公園)内に本格球場二面を建設する。
 新球場にて結成10周年記念行事を行う。会員数が200名を突破する。    
 リトルリーグ関西大会の開会式を球児憧れの甲子園球場で行うようになる。  
1979年度  シニアの部関西連盟春・夏(全日本関西)大会に連続優勝する。
 シニアの部2度目の全国大会で準優勝。
1980年度  津田監督がシニアの部監督(総監督兼務)に、リトルの部監督に南川晄彬氏が就任する。
 リトルの部Bチーム(次年度生)の遠征試合を始める。
1981年度  リトル臨海球場を解体し、奥本グランドを造成。
 協会行事の見直しを進め、冬季合宿を行う。
 シニアの部2度目の関西一になり、神宮大会と日本選手権に出場する。
1982年度  新入会員募集で初の募集定員割れ。会員募集難の始まり。
 高野山合宿で不祥事発生し、シニアの部卒団式を12月まで延期する。第2回目のピンチ。
1983年度  上松球場完成し、地区大会球場開きを行う。
 シニアの部結成10周年記念大会を行い貝塚シニアが優勝する。  
 協会がマイクロバス(中古)を入手する。
 シニア臨海球場も解体返却する。
 名東千種リーグが誕生し、Bチームが訪問、交流を開始する。
1984年度  リトルの部結成15周年記念大会を開催する。   
1985年度  「歩こう会」距離を縮めて永楽ダムでマラソンに変更。
1986年度  シニアの部に軟式野球出身者が増え始める。
1987年度  正月行事を感田神社初詣と「大運動会」に変更、夏季合宿も伊吹山へ。   
 協会名称を貝塚シニアー・リトルリーグ野球協会に変更する。
1988年度  結成20周年(シニア15周年)記念行事(記念大会、式典、記念誌発刊)を盛大に行う。   
 他所での合宿を止め、貝塚市内でおこなう。
1989年度  シニアの部卒団旅行が野球を離れる。
1990年度  選手減少のため、リトルの部に体験入会制(ためしにやってみようよ)を採用する。
1991年度  協会出身プロ選手第1号 湯舟敏郎君阪神タイガースにドラフト1位で入団する。激励会を開催。  
 リトルの部が団体での入会者で充実する。
 リトルの部の交流相手が名東千種とえひめ小松リーグ(四国連盟)に固まる。   
1992年度  日本選手権大会にリトルの部が初出場(関西二位)、シニアの部は11年ぶり3度目の出場で三位入賞。
 合同祝勝会と激励会を開催する。
1993年度  五十嵐秀樹君プロ選手第2号に、横浜ベイスターズで後に「ヒゲ魔人」として活躍。  
 二世選手、女子選手リトルの部に誕生。
1994年度  サッカーブーム続き会員数さらに減少する。リトルの部16名、シニアの部9名に。第3回目のピンチ。
1995年度  シニアの部に12名の1年生加入、ピンチを脱する。
 リトルの部も練習見学会など懸命の努力継続。二世選手続けて入会する。
1996年度  シニアの部4度目の日本選手権出場。
 リトルの部も低学年生が増加し、明るさが戻る。 
1997年度  リトルの部に初の女子キャップテン誕生する。 
1998年度  津田宗利氏第3代協会会長に就任する。
 結成30周年記念行事(パーティー、大会、記念誌)を盛大に開催する。   
1999年度  シニアの部会員数が40名になり、年2回の合宿など再度強豪チームを目指す。
2000年度  リトルの部、南部地区で敵なしとなり、西日本大会に出場。
2001年度  リトルの部がジャイアンツカップ大会に出場。
2002年度  溝端延彦氏第4代協会会長に復活し、津田宗利氏はシニアの部会長に。
2003年度  結成35周年(シニアの部30周年)記念大会を開催する。  
 名称を貝塚シニア・リトルリーグ野球協会とする。
2004年度  貝塚シニア・リトルリーグ後援会及び同OB会を結成し、合同発会式を行う。   
 協会ホームページを開設し、協会のPRとコミュニケーション手段として運用を始める。
2005年度

  「家庭内やりきり表」を作り利用を始める。

  シニア用(準)専用球場「二色野球グラウンド」を造成し使用を開始する。  
  リトルの部が全国選抜大会に初出場  
2006年度   リトル第32期卒団 川端慎吾君 東京ヤクルトスワローズに入団。激励会を行う。    
  シニアの部に少年野球チームより20名が入会、最終的に1年生が29名の大所帯になる。  
  リトルの部 関西夏季大会に優勝、続けて西日本選手権大会も準優勝
2007年度  AEDを後援会、OB会から寄贈を受けリトル、シニア両部に設置し、救命講習会を行なう
 シニアの部 久しぶりにブロック予選突破し連盟秋季大会に出場
 リトルの部 全日本選手権関西大会で決勝戦に進出するも第三位におわる   
2008年度  協会結成40周年記念式典、記念大会開催、記念誌「球友40」発刊  
 シニアの部 連盟秋季大会に2年連続出場し7位に入賞する
 シニアの部 全国選抜大会に出場  
 リトルの部 全日本関西大会で準優勝
 リトルの部 全日本選手権大会に16年ぶりに出場、ベスト8に   
2009年度  指導方針徹底のため指導部研修会を数度に亘り開催し、冊子「子供の上手な叱り方」を作成
 シニアの部2年連続全国選抜大会に出場する  
 リトル、シニアのより緊密な一体化を測るため、後援会、OB会よりの寄贈を受け試合用ユニフォームのロゴを統一する 
2010年度  会員達に自身の到達目標を認識させることを目的として「身体能力測定&評価システム」ゼットコンディションクリニック を採用し、主としてシニアの部会員を対象として運用を開始する
2011年度  リトルの部第37期卒団生 阪口哲也君 阪神タイガースより指名を受け入団。激励会を行う。  
 シニアの部に前年に続き多数の会員が入団、卒団式直後の会員数48名となる。
 リトルの部関西選手権大会で3位に入賞し、西日本選手権大会に出場、第3位。
2012年度  シニアの部第32期卒団生 中後悠平君 千葉ロッテより指名を受け入団。
 激励横断幕を作成し二色野球グラウンドに掲示  
 貝塚市長 藤原龍男氏協会顧問に就任   
 リトルの部関西秋季大会に38年振り優勝、西日本選手権大会で初優勝し念願のチャンピオンフラッグ獲得  
 シニアの部関西春季大会に予選優勝で出場、第4位
 シニアの部関西選手権大会で第3位となり、日本選手権大会、バッファローズカップ大会に出場
 リトル卒団生11名中10名がシニアに、1,2年生で52名の大所帯となる
 リトルの部の会員が漸増し、マイナー存続の危機を一応脱却する
2013年度  打撃力向上に対応、上松リトル球場を改修、外野フェンスを撤去し距離を広げる
 シニアの部あと1勝の壁突破できず日本選手権連続出場を逃す
 シニアの部東アジア選手権大会出場、ベスト16に
2014年度  上松球場外野道路奥旧工場跡地に住宅開発、メジャーの部の試合が不可能になる。
 二色野球グラウンド隣接地にメガソーラーパネルが設置され、防球ネットを追加設置。
 シニアの部、連盟秋季大会であと1勝の壁突破できず全国選抜大会出場を逃す。
 リトルの部もブロック新人戦優勝も尻すぼみの成績
2015年度  シニアの部、今年も20名余の新入会員入会、65名の大所帯となる
 リトルの部関西大会で準優勝、3度目の全日本選手権大会に出場
 リトルインターミディエット部門にシニアの部2年生が出場、関西代表で全日本準優勝
2016年度  シニアの部も少子化の影響表れ新入会者が減少14名に。
 リトルの部の会員減少も深刻化増す。
 リトルインターミディエット(IM)部門にシニアの部2年生が出場、関西代表で全日本も優勝。
 同部門でアジア・パシフィック大会出場、順位決定戦で破れ第2位に終わる。(初の海外試合)
 シニアの部関西大会で上位進出、全日本に第5代表で4年ぶりの出場。
 同じくバッファローズカップ中学生硬式野球大会に出場

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